神仏分離
一般Shinbutsu bunri ・ shinbutsu bunri
解説
分離令とその衝撃
1868年、成立直後の明治政府は神仏判然令を発しました。仏像を神体とすることは禁じられ、社僧は還俗を迫られ、神仏が一体だった境内は切り分けられました。新政府は天皇中心の国家体制を支える「純粋な」神道を求めたのです。この政策は各地で廃仏毀釈を引き起こし、数千の寺院が廃絶・統合され、仏像や経典、梵鐘が破壊されたり売却されたりしました。その激しさは藩によって大きく異なりました。
痕跡を読み解く
今日の風景の多くはこの分離の結果です。隣り合う神社と寺院はかつて一つの境内であり、神社の空き地にはしばしば塔が建っていました。僧侶が隠して守り抜いたことで現存する仏像もあります。仏教は明治後期に復興し、神道と仏教は分かれつつも隣り合う共存の形に落ち着き、現在に至ります。
よくある質問
- 廃仏毀釈とは何ですか?
1868年の神仏分離令をきっかけに起きた仏教排斥運動です。地域によっては数千の寺院が廃絶され、仏像や梵鐘、経典が破壊・売却されました。
- その後、仏教は立ち直ったのですか?
はい。明治後期には教団の再編と復興が進み、社会の支持を取り戻しました。現在も葬祭や先祖供養の中心を担っています。