Skip to main content

日本のキリスト教

一般

Christianity in Japan ・ Nihon no Kirisutokyō

解説

1549年のフランシスコ・ザビエル来日に始まる日本のキリスト教の歴史。一時は大きく広まりましたが、江戸幕府により二世紀以上にわたり禁教とされ、潜伏キリシタンの歴史と寺請制度に深い痕跡を残しました。

キリシタンの世紀

1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、新しい信仰は南蛮貿易の道筋に沿って急速に広まりました。キリシタン大名も現れ、1600年頃には信徒は30万人に達したとされ、長崎はその中心地となりました。しかし天下人たちは外国の影響を警戒し、1587年に秀吉が宣教師の追放を命じ、1597年には長崎で二十六聖人が殉教しました。

禁教、潜伏、そして復活

江戸幕府は1614年に禁教令を発し、キリシタンの旗を掲げた島原の乱(1637-38年)の後は、寺請証文檀家制度によってすべての家に仏教徒であることを証明させました。それでも潜伏キリシタンたちは、祈りを念仏に、マリア像を観音像に仮託しながら、七世代にわたり信仰を守り続けました。1865年、長崎の大浦天主堂で潜伏キリシタンが信仰を告白した「信徒発見」は世界を驚かせました。1873年に禁教は解かれ、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は2018年に世界遺産に登録されました。

よくある質問

なぜ日本でキリスト教は禁じられたのですか?

天下人たちが外国勢力の影響と信徒の忠誠の分裂を恐れたためです。1587年に秀吉が制限を始め、1614年に江戸幕府が全面的に禁教としました。

潜伏キリシタンとはどのような人々ですか?

禁教下で二世紀以上、祈りを念仏に、マリア像を観音像に仮託しながら密かに信仰を守り続けた信徒たちです。長崎・天草の関連集落は世界遺産に登録されています。

禁教は日本の寺院にどんな影響を与えましたか?

禁教の徹底のために寺請制度と檀家制度が生まれ、すべての家が寺院に登録されました。寺院が戸籍と葬祭を担う存在になったのはこのためです。

関連用語

出典