百済
一般Baekje ・ Kudara (Baekje)
解説
朝鮮半島南西部にあった王国(紀元前18年-660年)。倭国の最も緊密な同盟国であり、仏教や文字、寺院建築の技術を日本にもたらし、今日の寺院文化の出発点を作りました。
大陸への窓
百済(くだら)は朝鮮半島南西部を約七百年間治めた王国で、倭国(ヤマト政権)と緊密な同盟関係にありました。この交流路を通じて、渡来人の書記による漢字、高度な鉄器や土器の技術、そして何より仏教が日本へ伝わりました。538年(一説552年)に百済の王が仏像と経典を倭の朝廷に贈ったことが日本仏教の公式な始まりとされ、後には百済の造寺工や瓦博士、仏師が日本最初の本格的寺院である飛鳥寺の建立を支えました。
滅亡とその遺産
百済は660年、新羅と唐の連合軍に滅ぼされました。倭国は同盟国復興のため大軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで大敗します。その後、貴族や僧侶、工人を含む多くの百済遺民が日本に渡り、宮廷文化を豊かにしました。大阪や奈良の周辺には渡来人ゆかりの寺院や地名が今も残り、日本の寺院文化が海を越えて届けられた贈り物であったことを静かに伝えています。
よくある質問
- なぜ百済は日本の寺院にとって重要なのですか?
538年(一説552年)に仏教を日本へ公式に伝え、飛鳥寺をはじめとする最初期の寺院建立を支えた造寺工や瓦博士、仏師を送り出したためです。
- 百済はどうなったのですか?
660年に新羅と唐に滅ぼされました。倭国は663年の白村江の戦いで復興を試みて大敗し、多くの百済遺民が日本に定住しました。
- 百済は日本語で何と呼ばれますか?
「くだら」と読みます。大阪や奈良の周辺を中心に、渡来人ゆかりの寺院名や地名、史書にその名が残っています。